作品について
なかにし礼 作・台本/三木 稔作曲
オペラ全3幕 字幕付き原語(日本語/英語)上演
よしの山 みねの白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
吉野山 地獄にさす希望の光
歴史と音楽が紡ぐ、儚くも美しい名作日本オペラ。ここでしか味わえない感動を。
INTRODUCTION
オペラ「静と義経」は、1993年鎌倉芸術館の開館記念委嘱作品として三木稔作曲にて製作されました。同年、台本作者である作詞家なかにし礼の演出により初演され、絢爛豪華なステージとして大成功を収めました。武士が権力を握った時代を象徴する歴史上の数々の登場人物に加え、様式美も感じさせるドラマティックな音楽により、壮美なグランドオペラとして仕上げられたこの作品は、ジャパンタイムズをはじめとして各種音楽評でも絶賛されました。
2018年に日本オペラ協会は創立60周年を迎え、その記念公演として2019年3月に新宿文化センターで東京初演を行い、両日満員のお客様にご来場いただきました。監修になかにし礼を迎え、「作品の本質に迫る公演」としてメディアにも多数取り上げられ、大盛況のうちに終演いたしました。
あれから6年、今回新たなプロダクションとして生まれ変わります。指揮は前回に引き続き、日本オペラの指揮者として絶大の信頼を得ている田中祐子、演出には、人間の本質をリアルに表現し、オペラの可能性を追求し続ける三浦安浩が務めます。出演者には、砂川涼子、相樂和子、澤﨑一了、海道弘昭、須藤慎吾、村松恒矢をはじめ、日本オペラ協会が誇る数多くの歌い手を配しました。
吉野山から始まる悲劇 ―― 義経への想いを貫き通す静の、悲しくも華々しいグランドオペラです。当会30年振りとなる“音楽の殿堂”東京文化会館での公演に、どうぞご期待ください!
あらすじ/見どころ・聴きどころ
【第一幕】吉野山雪の別れ
文明元年(1185年)11月
逃避行を続ける義経主従は、みちのく平泉を目指し、雪降る冬の吉野山を越えようとしていた。夜は迫る、寒さはつのる。近くの宿を借りようと思うのだが、そこは女人禁制の場所。
義経は静に、都へ帰ってくれと頼む。静は泣いてイヤだと言う。いっそ死んでしまいたい。が、静は死ねないのだ。何故。静は胎内に義経との子を身籠もっていたのだった。
ならばなおさらのこと、体をいとわねばならない。義経に説得され、財宝(おたから)と初音の鼓を形見にもらって、静は泣く泣く山を下りる決心をする。
健やかなる子供を産め、そして必ずや生きて逢おうと義経は言い、二人は〈生きてふたたび・二重唱〉を歌う。そこに弁慶、忠信、三郎、経春ら4人の家臣が歌う〈わけもなく心ひかれて・四重唱〉が重なってくる。
二人の案内人を静につけて、義経主従は雪降る吉野の白い山陰に消えていく。
残された静は、愛する人の足音の消える間もなく、二人の案内人に財宝を奪われ、その身も雪の上で犯されてしまう。
「つらくとも、苦しくとも、死にはしません。私の心の中には、あの方が住んでいるから。あの方は私の神だから。」と天にむかって泣き叫び、やがて涙かわいた静は、笠をかぶり、素足のまま、一歩二歩と雪の山路を下りはじめる。
【第二幕】鶴ヶ丘八幡宮静の舞
文治二年(1186年)4月
鶴ヶ丘八幡宮の境内は、大道芸人の芸や白拍子たちの舞い歌いに打ち興じる群衆でまさに門前市をなしている。今日、神前に舞を奉する当代一の白拍子、静御前の舞い姿を一目見ようとみな楽しみにしているのだが、突如現れた小舎人たちに群衆は、無情にも蹴散らされてしまう。
静は、歌った。愛する人の無事を祈って。静は、舞った。ふたたび逢える願いをこめて。
「賎や賎、賎のおだまきくりかえし…」〈賎のおだまき〉が、舞い終わるや、頼朝は立腹である。
「鎌倉の万歳をこそ、となえるべきところを義経などという我らの敵を恋慕う歌をうたうとはもってのほかだ。」
話はにわかに、静の胎内にある子供のことになる。政子のとりなし、義盛の諫言も功をなさず、景時の進言のままに結論が下される。
即ち、生まれた子が姫君ならば静の手に渡すが、若君ならば直ちに由比ヶ浜の海に沈める、と。
「敵の子種は残さぬ。武士の心得じゃ。悪く思うな。」と席を蹴って立ち去る頼朝。静の母、磯の禅師の悲しい祈りの歌がいつまでも尾を引いている。
【第三幕】静の死と愛のまぼろし
文治二年(1186年)7月
折しも、静母子が身を寄せている掘ノ藤次の邸の門をたたく音がする。
頼朝の使い、安達清経が生まれたばかりの赤ん坊を受け取りに来たのだ。月満ちて生まれ落ちた子は、願いもむなしく、やはり若君であった。
渡せ、渡さぬ。渡せ、渡さぬと清経と磯の禅師は、再三繰り返すが、「いずれ助からぬ身の上なら、速やかにお渡しなされ」という気丈な静の言葉に押されて、磯の禅師は涙ながらにその初孫を清経の手に渡す。清経とて木石ならぬ身、心は千々に乱れるのだが、役目にはかなわじと赤児を抱いて脱兎のごとく走り去る。それを追う磯の禅師。
放心の中にありながらも静は、死にゆくわが子のために〈静の子守唄〉を歌うのだった。
「コモに包まれ石を抱き、波を枕にねんねしな」
その歌に重なるようにして衣川で死にゆく義経主従の歌と舞いが、炎と煙の中から立ちあらわれ、そして消えていく。
〈静、都へ帰りましょう〉と母は静を慰めるかのように歌うが、静の心は一段と義経への愛を強めているのだった。
待つか、死ぬか〈二つに一つ〉私は都に帰らないと答える静。そこに世の無情を嘆く、掘ノ藤次夫婦の歌が混じり合い、哀切をきわめる四重唱となる。
文治五年(1189年)6月
墓前で、政子と娘大姫が話している。
衣川の館で義経が死んだ。裏切ったのは藤原泰衡、そう仕向けたのは頼朝。だが、本当にこの時代を動かしているのは、北条氏かもしらぬ。不気味に笑う政子。傷つく大姫。
鎌倉に届けられた義経の「首櫃」を前に、四人の男がいる。頼朝、広元、景時、義盛。
「悪は滅んだ」と頼朝がいう。「悪とは何ぞや」と義盛が訊く。
時代の流れに逆らって夢見ることが、悪であろうか。無垢な心を抱き続けて不器用に生きることが悪であろうか。だれが悪を決めるのだ。
そこへ、政子が大姫の死を告げる。
頼朝は涙を見せるが、果たしてその涙は、わが娘の死を悼んでのものなのか。わが弟九郎義経の死を嘆いてのものなのか。
頼朝は歌う。〈悪は滅んだ〉「天下のたわけもの、源頼朝、孤独地獄で狂い死にするがいい」と。政子の笑い声がいつまでも闇に谺する。
「首櫃」の前に静と磯の禅師が現れる。
「今度こそ、都へ帰りましょう」と母は嘆願するが、静の心はすでに死の淵にある。あきらめて立ち去る母の足音を背に、静は、「そこはいつも春、いつも青空、愛する人よわが君よ、いざ旅立たん、かの国へ」と、〈愛の旅立ち〉を絶唱し、われとわが胸に短剣を突き刺して息絶えるのだが…。
どこからともなく、風花の如き雪がひとひらふたひら舞ってきて―。さて、お楽しみ。
〈〉内はアリアのタイトル