
『静と義経』。
そこには、日本音楽ならではの楽しさがある。
『春琴抄』で素晴らしいと感じた、三木稔先生の音楽。「西洋音楽を邦楽に寄せ」た、日本音楽らしさを楽しめるその音楽性を、『静と義経』でもできるだけ自分のものにし表現したい。その音楽性は作品全体に満ち、頼朝の最後のアリアにも表れている。日本音楽らしさのひとつは、「静けさ」のなかにスッと入ってくる音楽。歌い手にセンスを委ねられる部分もあり、難しくもあるが面白い。歌の留学先としては珍しいフィレンツェ、そしてイタリアで得たものは、今でも西洋音楽と日本音楽の表現について考えるとき、生きている。
「西洋音楽を邦楽に寄せる」。三木稔の音楽を、いかに表現するか。
−今回も、いよいよ公演が近づいてきました日本オペラ協会『静と義経』、3月3日に頼朝役として出演される清水良一さんにお話を伺います。まず、恒例の質問ではありますが、作品へ臨む意気込みをお聞かせください。
とにかく三木稔先生の曲は、以前出演した『春琴抄』も大変素晴らしく、この『静と義経』でもやはりその音楽をできるだけ自分のものにして表現したいと思っています。なかでも、頼朝のアリアは三木先生の音楽性がよく表れていると思うので、研究や練習を重ねて十分に表現したいと思います。

—三木先生の音楽表現が重要な点ですね。頼朝については、どんな役づくりをしようと考えられていますか?
このオペラでは、そんなにたくさんの頼朝の面を出すことは出来ないので、最初は権力者としての厳しい面、後半では権力者がゆえの孤独感を表現しようと考えています。孤独感については、最後のアリアでも歌っていますからね。一族の長として、怖くて厳しい顔を見せるその裏に、誰にも分からない寂しさと虚しさを抱えているというギャップを出せたら、と。
—そうですね、頼朝といえばある意味では勝者でもありますが、権力者であることを喜んでいるかというと決してそれだけではないのだなと感じます。最後のアリアには、その頼朝の抱えた苦悩が特に表現されているのですね。
はい、とてもよく表現されています。三木先生について、ある本には「西洋音楽を邦楽に寄せる作曲スタイル」と書かれてあります。確かにそれは『春琴抄』でも感じました。他の作曲家の場合は「邦楽を西洋音楽に寄せる」スタイルなのですが、三木先生のスタイルですと日本音楽らしさというものが非常によく表れていると感じられます。

2014年 日本オペラ協会公演「春琴抄」佐助役 右は家田紀子
—なるほど。これまでにもこの『静と義経』にご出演の方へお話を伺ったとき、みなさんが「メロディーが耳に残りやすい」とおっしゃっていました。三木先生の「西洋音楽を邦楽に寄せる」スタイルであるからこそ、メロディーと日本音楽らしさが両立されているのでしょうか。
そうだと思います。日本音楽って、民謡とか童謡はすごく覚えやすいメロディーなのですが、それ以外、例えば地唄や長唄などはどちらかというとより説明的というか、情感を表現しているというか、言葉が伝わりにくかったりメロディーがなかなか見えなかったりするものが多いですよね。逆にそういう日本音楽のすごいところは、「厳しさ」が見えることだと思うのです。尺八だとか、能管だとか、三味線の早弾きとか、その音がずうっと続いていくようなところが邦楽の面白さじゃないかと思うのですが、それを三木先生は上手く出すのです。日本音楽らしい特徴もありながら、オペラとして言葉もよく伝わるようにつくられている。言葉がわからないと、お客様にストーリーが伝わらないですからね。
—そのとおりですね。日本音楽の良さと西洋オペラの良さ、どちらも持ち合わせているのですね。今回のオペラで、清水さんが考える見どころはどちらですか?
そうですね、このオペラでは義経と静が出ているシーンと、頼朝たちが出ているシーンとがはっきり分かれているのです。頼朝は、静とは絡みますが、義経と対面するシーンがひとつもなくて、音楽もそれぞれまったく違うのです。義経と静の場面では音楽が劇的だったりロマンティックだったりしますが、頼朝のシーンでは怖さやおどろおどろしさが音楽に出ている。いうなれば、義経たちは“動”と頼朝たちは“静”という感じです。さらに後半になると、もう義経も静もいなくなって、実は裏でずっと頼朝をコントロールしていた妻・政子とのシーンになります。
—義経のシーンと頼朝のシーンの、動と静の対比が見所なのですね。注目してみたいと思います。